株式会社佐藤林業 木を育て、木と共に80年
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長男・徳郎氏、利一郎氏を語る
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利一郎伝
株式会社佐藤林業の原点は、創業者である佐藤利一郎(さとう りいちろう=現社長:利郎の祖父)にあります。

ふる里の山を愛し、木を愛し、木材業を通じて地元の土地と人々への貢献を志してきたその事業者精神は、今でも轄イ藤林業の経営理念や企業姿勢に脈々と息づいています。

利一郎さんはどんな人だったのでしょうか。

利一郎氏と間近に接していた人々から伺ったものをまとめてみました。
熊本県山都町(旧矢部町)猿渡の山
<佐藤利一郎の人物像>

≪先見の明≫

戦前の早い時期から、これからの木材需要の可能性に目をつけ、公職を離れて事業を興した。

時代の動きや、需要動向に対する嗅覚が鋭く、その打つ手打つ手が的確であったために、当時の地元の方々は「利一郎さんのやることの真似をしていれば成功する」と、よく口にしていたという。

国土復興の木材需要の大きさを見越して、戦後ほどなく、八代や内大臣、甲佐などの山林を購入した。

また、車社会が本格的に到来する前から、これからは「自動車の時代が来る」と予見し、昭和33年、肥後石油を興し、同時期に木材業界の先を見越して肥後木材を興した。
自社所有の杉林
     
≪情報と人脈≫

事業を興してほどなく熊本市に頻繁に行き来し、当時の熊本の政財界のリーダーたちとの人脈を築いていった。

また、情報に対する反射神経も機敏であり、戦後、片山内閣の「山林解放」の情報を聞きつけると、その日のうちに所有山林の子供たちへの分割譲与を断行した。

熊本のトップリーダーたちとの豊富な人脈を築いていた利一郎氏は、一種の風格と自信に満ちており、自宅に政治家が訪ねてきても対等に堂々と応対していた。(次男・仁郎氏(現佐藤林業会長)の回想)
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当時を語る佐藤仁郎会長
≪家族と故郷への想いと献身≫

愛情深く家族想いであった。食事も家族皆で一緒に食べることを基本としていた。
また、戦中戦後の食糧難の時なども、よく大勢の地元の人々に昼食などをふるまっていた。
今でいう「共生」の思想の持ち主で、地域全体、部落全体がよくならなければ意味がないと考えていた。苦しい立場にある人を助ける気持ちが強かった。
昭和23年の学校改革では、広大な土地を学校に寄付した。(ただ、将来の学校統合を見越して、そのときが来たら元の所有者に返還する証書を交わすしっかりぶりも発揮した) 注:実際、50年後に返還した
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≪佐藤利一郎の遺した『経営者心得』≫

 ・ 信用・信頼がもっとも大切。
   目先の利益を狙ってごまかしやウソをするな
 ・ 確固とした方針と理念をもって事業に当たれ
 ・ 良き後継者を育てよ
 ・ 困っている人、貧乏な人を思いやり助けよ
 ・ 資金は企業の血液。経理、資金の管理は厳格にやれ
 ・ 前向き積極的に、人と違うことを失敗を怖れずにやれ
 ・ 生きたカネを使え。
   (金を使うなら、そのメリットをしっかり掴め)
 ・ 財をきちんと築け。
◆こぼれ話◆
勉強会や講習会などに出席するたびに次男の仁郎氏は、利一郎氏から詳細な報告を求められたそうです。
     
【利一郎氏墓石碑文】

 翁は佐藤本家徳蔵氏の二男として生まれ、長じて佐藤家を分家し、初代当主となる。
その性筍潔にして博識奮励不暁よく林産業を興して大をなし、励業の先駆者だ。
のちに佐藤林業(有)、肥後木材鰍創業、創始者、初代社長就任、爾来社運隆々、社業は益々盛んにして翁の係累躍如である。傍ら、下矢部村収入役をはじめ、地域社会の発展に寄与されたること幾多顕著である。ゆえに翁の遺徳をしのび、これを記す次第である。
         釈昭曉撰
 
     
<佐藤利一郎足跡>
明治20年 (1887年) 12月14日 熊本県下矢部村(現山都町)の雑貨店を営む商家の次男として生まれる
幼い頃より大勢の人と情報が行き来する環境の中で、自然に商売感覚が磨かれる
昭和6年 (1931年) 当初、利一郎は下矢部村の収入役を務めていたが、地元の豊富な山林資源に着目し、時代の動向を見据えながら林産物を生かした事業家へと転身する(佐藤林業を個人創業)
昭和9年 (1934年) 移動製材所を始める
昭和15年 (1940年) 定置工場を建設する
昭和23年 (1949年) 12月熊本市南熊本にて佐藤林業(有)を法人化設立
昭和26年 (1951年) 八代の山林五万石、内大臣、甲佐岳などの山林を次々に購入
昭和33年 (1958年) 熊本市春竹町八王子に肥後木材梶A肥後石油鰍創設
12月11日死去。享年72歳
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本文・取材: HP製作者
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